龍薬奇譚


                                     


 その山には龍が潜み棲んでいると言う言伝えがある、そしてその龍は四つの神薬……
 すなわち『若返りの秘薬』『復活の秘薬』『全治の秘薬』『長命の秘薬』…を守護していると、言われていた。
 その噂を信じ、または王族に命じられて、何人もの人々がその龍を求め山に分け入ったが、一人として帰って来る者はいなかった。
 はたして本当に龍が棲んでいるのか、それとも別の魔物が棲んでいるのか、それを確かめた者も誰もいない……
 やがて、言伝えは語られなくなり、龍を求めて山に入る者たちも何時しかいなくなった…
 ただ嵐の夜に、吹き荒れる風雨の音とは明らかに違う、龍の咆哮とも思えるような叫びが聞こえる事だけは確かであった。


                                    乱舞


 嵐である。
 その嵐の中に二つの影が素早く動き回り、交差したかと思うと凄まじい衝撃音を発して離れる、そしてその度に天と地は悲鳴にも似た鳴動を繰り返す。
 重装甲の甲冑に身を包み、両の手に大剣を一振りずつ携えた人影と、異形の生物…龍と呼ばれる生物が、剣を振り下ろし牙を咬み鳴らしながら、ぶつかり合っては衝撃と破壊を周囲に撒き散らす。
 龍の全身から発せられた魔力が雷鳴となり、重甲冑に身を包んだ人影に襲いかかり、両の腕に携えられた大剣が龍の魔力を打ち消し弾き飛ばす。
 振り下ろされた大剣が、龍の剛腕に弾かれ人影が大地に叩きつけられる、追撃とばかりに吐き出された炎のブレスを切裂きながら、大剣が龍に迫り斬りつけるが、寸での所で龍は身をかわし、二つの影は互いの剣と牙が届かないギリギリの範囲で対峙する。
「タノシイカ…」
 龍の口から、しゃがれた声と言うよりも音と言う感じの問いが、風雨に掻き消される事なく、対峙している人影に向けられる。
「ああ…楽しいね…」
 人影が、男とも女とも、若いとも老人ともつかない…それでいて、辛うじて人が発した声だと判別できる声で返答し、さらに言葉を続ける。
「お前も楽しいんだろ?」
 もとより龍に人が表すような笑みを、その表情に作り出すことは不可能である…しかし龍は、その相貌に紛れも無い笑みを浮かべていた。
 笑みを浮かべたまま龍が、問いかけに応える様に炎のブレスを吐き出す。
 対峙していた人影が炎のブレスに正面から突っ込んでいく
 凄まじい雷鳴の中、二つの影は何時果てるともない闘いを繰り返す…もしも、この闘いを目撃したものがいたならば、それは確かにこの世の終わりを思い起こさせるような凄まじい闘いであったが、同時にその二つの影が楽しげに、遊んでいるようにも見えたかもしれなかった…


                                 料理


 まあ…なんだ、状況を把握できない時は状況を把握すべく努力する事が大切な事だ、状況を掴めないまま、闇雲に行動を起こしても碌な事にならないと言う事は、今までの人生経験で充分に把握していたのだから…
 だが今思えば、この時に限っては感情のままに行動していた方が、まだましだったのではないかと今は思っていたりする…

 そこそこに混雑している料理屋、そのテーブルの前に座り込んでいる俺の目の前で、そのテーブルの上に置かれている料理を、豪快に食い散らかしている少女に俺は尋ねた。
「なあ、すまんがその料理、俺が注文した奴と違うか?」
 少女は喰うのに忙しいのか、俺の問いかけを無視して、更に料理を喰らい続け……いま少女が喰い散らかしている料理は、紛れも無く俺が注文した料理の筈だ、ようやくに運ばれてきたその料理を喰おうとした時に、こいつは突然に料理屋に入ってきて、ズカズカと一直線に俺の座っているテーブルまで来たかと思うと、テーブルの上に並べられている料理を喰い始めた。
 一瞬何が起こったのか把握できなかった俺だが、テーブルの上の料理が次々に少女の腹へと消えていくのを見て、ようやくにさっきの質問をしたのだが、見事に無視される……そして、とうとう料理は全部平らげられた。。
しかもその少女は、俺が唯一確保していたワインの入ったカップをムンズと奪い取り、それを飲み干した後で一言言った。
「ふ〜…兄ちゃん、そこどかないと危険だよ」
 次の瞬間、天井のを突き破りながら、数人の影がテーブルの周りに着地する、格好としてはテーブルの前に座っている少女と俺を取り囲んだ図になる、そいつ等は一斉に襲い掛かってきた。
「だぁ―――!!」
 突然に襲い掛かってくる影、手には短剣を持っている、それが少女と俺に向かって突き出された。
 とっさに、体を捻って身をかわしながら、襲ってきた奴の足を引っ掛けて転ばす、腰に着けている剣を抜き放ちながら、体勢を整え次の攻撃に備えるが、どうやら俺に攻撃を仕掛けて来たのは、転倒させて奴だけらしい、他の奴らは俺の料理を平らげた少女へと、その短剣を向けて襲い掛かったらしい
「おいっ!」
 俺は抜き放った剣を構え、少女へ襲い掛かっていく奴らの背後から、ぶつかる様にしながら切りかかった。
 本来なら関係ないと逃げ出せば良かったのだろうが、自分も攻撃を受けた事と襲われた少女を見捨てる事も出来なかったのだ
 だが次の瞬間!
「爆風昇竜波!」
 少女が唱えた魔法によって、襲いかかった奴らが吹き飛ばされる!
【爆風昇竜波】…爆発的な強風を術者の周囲に巻き起こし、その風の威力で周りの奴らを吹き飛ばす魔法だ、周囲を取り囲まれた状況では効果的な術と言える、だがこの呪文には欠点と言うか使用上注意しなければいけない点が幾つかある。
 巻き起こされた強風は周囲を無差別に襲うのだ、つまり……当然の様に奴らに向かって行った俺も巻き添えを食って、奴ら同様に吹き飛ばされた……そして、意識を失った……

 気がついた時、最初に眼に入ったのは少女の顔だった。
 ゆらゆらとした意識の中で、見上げた少女の顔……微かに残るソバカスの痕は、まだ子供の面影を残している、だがその蒼く大きな瞳を持つ顔立ちは、吸い込まれそうになるほど美しい、そして金と銀……二種類の髪が右と左に分かれている、それが何だかとても綺麗に見える……
「さっさと!起きろ!」
 次の瞬間!頭をどやされて一気に意識が覚醒した。
「ほらっ!さっさと逃げ出さないと、面倒な事になるよ」
 改めて周囲を見渡す、そこには破壊の限りを尽くされた料理屋の室内が映し出された。
 考えれば、屋内で【爆風昇竜波】なんて呪文を唱えてのだ、こうなるのは必然だろう……だが、なんで俺が逃げださなきゃならないんだ?
「おい、何で俺が逃げ出さなきゃ……」
 そう言いかけて、改めて周囲の連中の顔を見る、店にいた客……店の主人や従業員…そいつらが俺を見ている、そして見ているその目の中には……
『こうなった責任を取れ!』…と言う怒りの炎が見て取れる、どうやら俺もこの騒ぎの当事者だと思われているようだった……
『俺は関係ない!』…そう事実を叫んでも、それを信じてくれるような雰囲気には思えない……
「んっ!ごほんっ!」
 俺は、ゆっくりと立ち上がる……そして、壊れた料理屋から出て行こうとした瞬間に、背後から呼び止られた。
「お客さん…後始末は、キチンとして行ってくれないと困りますね…」
 俺はその声を聞いた瞬間に、ポケットに入れていた財布を取り出して口を開く、そしてその財布の中身を後も見ないままで、背後にばら撒く!
「すまん!これが全財産だ!」
 そして、そのまま脱兎の如く逃げ出した!
 背後から料理屋の親父の叫び声がしたような気がするが、気にしてる余裕なんかある筈も無い、ばら撒いた金に群がった野次馬やらが、店の連中の行動を妨害したおかげで何とか逃げ切る事が出来たのは、不幸中の幸いだった……

 走りに走って、街から飛び出すように逃げ出して、街道を更にひたすら走り、ようやくに足を止めたのは、かなり経ってからであった。
 とりあえず追っ手がいない事を確認してから、木陰に腰を下ろして息を整える……そして、何でこんな事になったのかを改めて考えようとした時に、不意に革水筒が目の前に差し出された。
「ご苦労さん!まっ一息つきな」
 そう言って、革水筒を差し出しているのは、騒ぎの原因となった少女であった。
「お前!んぐっんぐっ…!」
 とりあえず聞きたい事は山ほどあったが、目の前に差し出された革水筒の水を飲む事を優先する…そして、ようやくに一息つく事が出来た時に俺は叫んだ!
「いったい何者なんだ、お前は!」
「ヒルディガルド…見ての通りの、ごく普通の旅人よ」
 その少女は、笑みを見せて応える…ただし、その浮かべた笑みは、怖ろしいまでに不敵で傲慢な笑みであった。


                                                           つづく


                                                     一般書庫へ戻る