龍薬奇譚
第三話
【 焚き火の夜 】
二つ目さすがに自分で喰う。
一つ目のヒルディガルドに食べさせてもらったのに比べ、多少味が落ちたような気もするが、それでも焼きたての肉は美味かった。
「ところで、こうなった経緯くらいは教えてくれるんだろうな」
二本目の肉を食べ終わり、三本目の奴に手を出しながら俺は聞く、はたして素直に応えるかどうか不明だが、取り敢えずは聞いておこうと考えたのだ。
「ちょっとしたトラブルよ」
「ちょっとしたトラブルのレベルで、あんな物騒な連中が束になってやってくるか!」
俺の怒鳴り声を馬耳東風と聞き流しながら、自分も焼けた肉を食べるヒルディガルドだが、さすがに説明不足とでも思ったのか、話を続ける。
「いやね、恩知らずの領主がいてね……」
そして話し出したヒルディガルドの内容は、唖然とする事であった……
此処から徒歩の行程で三週間ほど行った場所にある地方領主の土地、まあ問題のある領主と言うのは珍しい存在ではないが、そこの領主は極めつけに酷い領主らしく、重税くらいならまだましな方で、それに加えて領民を人と思わない所業を繰り返すという人物で、かなり悪名が高い人物だそうだ。
そんな場所でも、人は生きていかなくてはならないし、領主には従わなければならない、長年に渡って築き上げた生活の基盤となっている土地からは、そう簡単には出て行く事は出来ないと言う事らしい、旅の傭兵なんぞと言う商売をしている俺あたりには、と実感として解らない感覚だ。
それでも余りにも酷い領主の仕打ちに耐えかねて、逃げ出そうとする領民も少数ながらいたらしい、だが領民の逃亡を嫌う領主(領民の減少は領土の衰退に繋がるからなんだが、それならもう少しましな領主になればいいと思う。だが、そこまでは考えないのが、この手の領主という奴なのだろう)は、領民が逃げ出さないようにと、逃げ出しそうな領民の家族を人質に取ると言う手段をとった。
人質に取る家族の一員は、だいたいに置いて年の若い女性が選ばれ、当然ながら、それらの人質に取られた娘達がどの様な目に会うか……想像するとウンザリした気分になる。
「ひでえ領主だな」
手に持った焼肉が突き刺さっている4本目の小枝、その突き刺さっている肉をカブリと俺は頬張る。
「ええ、酷い領主だったわ」
「……だったわ?」
過去形のヒルディガルドの言葉……ニコリ!と言うか、ニヤリ!と言うべきか、散々見せてくれ続けた、例の不敵な笑みを浮かべながらヒルディガルドは、そのまま言葉をつづける。
「ええ、たまたま一夜の宿と言うか、ご飯と言うか、世話になった家の娘さんが、領主の城に人質に取られていて、娘さえ戻ってくればすぐに、ここから逃げ出すのにと、その家の母ちゃんや父ちゃんや爺ちゃんや婆ちゃんや、その娘の弟とかが、涙を浮かべながら言うのよ」
「それで」
「うん、ちょうど暇だったし、一宿一飯の恩義は返さなけりゃと思ってね。その領主の城に出かけて……」
「出かけて?」
「こう、キュッ!とね!」
何か、両手を洗濯物でも絞るような格好にして、クイッ!と言う感じで動かすヒルディガルドの姿と、それを見ている俺……もしも、俺が俺の顔を見る事が出来たとしたら、さぞや素っ頓狂と言うか、呆然とした顔をしているだろうな……なんて事を考える。
「でもね、命だけは助けてくれっ!て、必死に命乞いをするから、命だけは助けてやったのに、ほんとに恩知らずな領主の野郎だわ!」
「命だけは助けたって、何をしたんだよ」
「え〜……と、両腕をへし折って、両足もへし折って、去勢してやってから……最後の仕上げに簡単な呪いをかけてあげただけよ、それでも御願いどおりに命だけは助けてあげたのにね」
あっさりと言うか、平然と言うか……何か朝飯を食うくらいの感覚の、実に簡単な口調で、その領主に対してした事を言うヒルディガルド、その喋る口元に邪悪といってよい笑みが浮かんでいる。
その笑みの邪悪さときたら、どう見ても立派な極悪人の笑顔、傭兵として戦働きを何度も経験している俺は知っている。こんな笑顔を見せる奴は、大概は性質が悪い、他人を騒動に巻き込みながら、自分だけは何故か安全圏に座りこんでいて、右往左往する奴らを、こんな笑顔をで見ていやがる。
関わり合いになるのは出来るだけ避けた方が良い! と言うよりは、絶対に避けた方が良い人種だ。
と考えながらも腹はやはり減っており、小枝に刺され火に炙られている肉を手に取り、口の方へと持って行く、頬張る肉の熱さを気にしながら、程好く効いている岩塩に舌鼓をうちながらハフハフと……
雨も降っていなければ、時期的にも野宿に向いている季節だった事もあり、その夜は結局その場所で野宿をする事となった。街道から比較的近い事もあって、獣とか怪物が出現する可能性が低いという点も考慮に入れての事だ。
しかし本来なら、今日は久しぶりに宿屋でゆっくりと横になる予定だったのに、こんな事になるとは考えてもいなかった。まあ飯屋から逃げ出す時にばら撒いた財布の中身と、置き忘れ来た旅装一式(たいした物があったわけじゃない、必需品は身体の方へと肌身離さずに持ち歩いている)を考えれば、仕方のない選択でもあったのだが
取り敢えずは、羽織っているマントに身体を包み込みながら、焚火の傍で横になる。
ヒルディガルの奴も似たような感じで、ゴロンと横になると、俺の方へピタリと張り付いた。
「うわぁ! おい、もう少し離れろ」
「別に私は構わないわよ、いくら今の時期だからって、朝方はそれなりに冷え込むし、こうしてくっ付いて寝た方が暖かいし……それとも、私のような魅力的な美女が、横に寝ていたら興奮して眠れないの? なんならお相手をしてあげてもいいわよ、こう見えても経験豊富だから」
「いや、あのな……」
ひっついて来るヒルディガルドを見る……確かに、美人と言う部類に入る女だと思うが、俺のお相手を御願いするとして、それはあと10年位の年月が経ってからの事だろうと思う。
「冗談よ、それとも本気にした?」
ちょいと小悪魔を思わせる笑みを浮かべ、ヒルディガルドは俺の方へと身体をすり寄せる。そして、もぞもぞと身体を少し動かしたかと思うと、次の瞬間には眠りに突入し始めた。
結局俺は、そのままヒルディガルドの身体に身を寄せた状態で、一緒に寝る事となる。クークーと軽い寝息を立て始めるヒルディガルド……
「こいつは……」
俺の事を毛布か何かとしか思っていない……と、言葉を続けようとしたが、最後まで言うのがアホらしくなり、身体に羽織ったマントを緩め、それをヒルディガルドの方へとかけてやった後に、俺も眠りについた。
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夜半に目が覚める。焚き火は既に消えており、周囲は静かだった。いや静か過ぎていた。夜の森と言っても、完全な静寂が存在するわけではない、夜中に行動する小動物達の気配が少しはある筈なのに、それがまったく感じられない、なぜそれらの小動物達の気配が無いのかと考えれば、答えは簡単に出てくる事になる。小動物達が気配を消してしまうような存在が、近くにいるからと言う事だ。モゾリと身体を少しだけ動かし、傍らのヒルディガルドに注意を促そうとした時
「わかってるわよ」
傍らで眠っていると思っていたヒルディガルドの方から、小さな声で返事が返ってくる。
「合図したら、目を手で覆って、解るわね」
何をしようと言うのか、察しはすぐに付いた。返事の代わりに軽くモゾリと身体を動かした瞬間に、ヒルディガルドの声がした。
「マ・ライト! (閃光)」
その瞬間に強烈な光が周囲を爆発的に照らし出し、白く世界を染め上げる。前もって指示されていた通りに両目を腕で覆い隠し、その光から目を守りつつ、素早く起き上がりながら体制を整える。
ほんの一瞬の光だが、闇の中に潜みながら此方を狙っていた奴は、完全に虚をつかれ暫くは盲目状態となる。そして闇になれた目のままの俺達は、盲目状態となった奴らを容易に倒す事が可能だった。
「げひぃっ!」
最後の一人が、俺の剣に切り倒される。残りの連中もヒルディガルドが片付けたようであった。
「これで、おしまい!」
パン! パン! と手を軽く叩きながら、ヒルディガルドがこちらの方へと歩いてくる。と、倒したと思っていたアサシンの一人が、バネ仕掛けの人形が跳ね上がったかと思う間も無く、そばに立つヒルディガルドに切りかかる。
危うくその攻撃を、身を翻すようにして避けながら、急ぎ紡いだ呪文の詠唱によって、アサシンを吹き飛ばす。
吹き飛ばされたアサシンは樹にぶつかり、その場に倒れこんで動かなくなる。一方、ヒルディガルドは太股の辺り押さえながら、その場にうずくまり呻き声をだしていた。
「おい、大丈夫か」
駆け寄る俺に向かって、何時もの皮肉タップリの笑みを向けようとしたが、それが途中で苦痛の表情へと変わる。それでも何時もと変わらない口調が返って来た。
「ちょっと失敗、こんな油断なんて……何十年ぶりかな、毒が塗ってあったみたい」
相変わらずの減らず口、手で押さえている太股の傷を見ると、それほど深い傷ではないが、切られた部分が変色し始めているのが解る。確かに何がしかの毒が塗られていたのは間違いない、俺は迷わず傷口に口を当てて、思いっきり傷口を吸う。
「ちょ、危ない」
驚いたようなヒルディガルドの声、何の毒が塗られていたか不明な状態で、その毒が侵入した傷口を吸うなどと言う事は、非常に危険であり、下手をすれば毒を吸い出す所か、吸い出そうとした此方の方が毒にやられて、死んでしまう可能性すらある。
太股の傷口にから吸いだした毒と血を吐き出し、再度同じ事を繰り返そうとした俺の頭が殴られる。
「ばか! 毒の種類も解らないのに、そんな事をして死んだらどうするのよ」
それに答えず、同じ事を数度繰りかし後で、ポケットから肌身離さずに持ち歩いている解毒薬を取り出す。
「飲め、結構高い薬だが、その分効目もいいはずだ」
掌にのせた数粒の解毒薬、それをヒルディガルドの方へと差し出す。
その解毒薬と俺の顔を交互に見たヒルディガルドが、ブルブルと唇を震わせながら、妙に呂律の回らない口調で言う。
「ひょ……めん、ろくれ……はりゃぁだらぁ……ひびれれきら……のまやしゃたぁ」
吸い出し切れなかった毒が、身体に回り始めたのだろうか、俺は解毒薬をヒルディガルドの口の中に押し入れようとしたが、上手く飲み込む事が出来ずに、口の中か解毒薬が零れだしてしまう。
「くふぃうるしで……しょれぇなっりゃぁぁ……」
なんと言ったのか、最初は理解出来なかったが、同じ事をヒルディガルドは繰り返し言う……そして、言っている意味が理解できた。なんと、口移しで飲ませてくれと言うのだ!
事態は一刻も争う。俺は解毒薬を口に含んで、自分の口をヒルディガルドの口へと重ね合わせる。
唇を唇でこじ開け、閉じ合わされている歯を舌で開けさせる。自分の舌に包んだ解毒薬を、ヒルディガルドの喉奥深くへ挿入させる為に、侵入させた舌を思いっきり伸ばした瞬間に、その伸ばした舌を強烈に吸われる。
「んっんぐぅ!」
突然の事に驚く俺の様子を、口を合わせたままのヒルディガルドが、顔の下の方から見て笑顔を浮かべている……あの、ひどくふてぶてしい小悪魔の笑顔を……
吸われる俺の舌、その吸われている舌がヒルディガルドの口の中で嬲られる。キスをしたのが、生まれて初めと言う訳では当然無い、旅から旅の傭兵なんて職業をしているせいもあり、女に対しての経験はそれなりにあるのだが、ヒルディガルドが俺にしているキスは、今までに経験した事が無い程に濃厚であり、凄まじいまでの破壊力があった。
驚いて、重ね合わせた口を引き離そうとしたが、舌をがっちりとホールドされて引き離せない、嬲られる舌から染み込むように伝わって繰る快感、それにだんだんと翻弄されていく俺!
俺は思い出す。子供の頃に、死んだ婆ちゃんの膝の間に座って聞いた怪物の事を……インキュバスと言う名前の怪物の事を、もしかしたらヒルディガルドと言う名前の少女の正体が、それではないのかと思いながら、俺は口から染み込んできた快感に飲み込まれ、意識を失った。
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