余章

                  「 終……または始まり 」


                              T

「んっ……うぅ〜……ん……」
 身体を揺り動かされる感触に、小さな声を出しながら小夜は目を覚ます。
「あれ……?」
 ハッキリと目覚めていな意識と言うか、半分くらい寝ぼけているような独特の寝起きの感覚……そんな中で夜が目覚めたのは、小夜が住んでいる所から程近い公園の中だった。
 夏休みの早朝という時間帯、ラジオ体操に集まった近所の子供たちが、小夜を興味深げに遠巻きに見ている。町内会の世話役で、ラジオ体操のおじさんが小夜のホッペタをペチペチ叩きながら聞いてくる。
「お嬢ちゃん、たしか山本さん家の小夜ちゃんだろ、いくら夏休みで暇だからってこんな所で酒盛りなんかしたら駄目じゃないか、親御さんが心配してるぞ」
 小夜は寝ぼけ眼で廻りを見る。公園のベンチの上にコロンと横になっている自分を確認する。
「え……はい? あれ?」
 そして廻りに転がる缶ビールの空缶も、慌てて自分の姿を確かめる、浴衣はちゃんと着ており乱れてもいない、髪の毛もちゃんとしているしそれどころか、破り剥ぎ取られたはずの下着も身につけていた(ただブラジャーのサイズは小夜の胸よりも大きく少々ぶかぶかであったが)キツネにでも化かされたような気がする。
「夢……の筈はないわよね?」
 頭が今ひとつはっきりしない、ボーとしている小夜をラジオ体操のおじさんがわざわざ家まで送ってくれたのは、帰ってこない小夜の事を両親が探し回っていた事を知っていたからだった。
 家に帰って来た小夜に待っていたのは、自分にすがりつきながら大きな声で泣く母親の姿と、生まれて初めて味わう事となった父親の平手打ちだった。無断外泊の上に酒を飲んで公園で夜明かし(状況から言って両親はそう思ったらしい、小夜の方も本当の事を言わなかった)では当然の事と言えた。
 一通りの両親のお説教をタップリと聞かされた小夜が、自分の部屋に戻ったのは一時間後だった。
「夢何かじゃない」
 服を着替えながら小夜は思う。拓哉とのあの熱い感覚が身体の奥にまだ残っており、股間にそっと手を伸ばして自分の花園に触ると微かな痛みがあるのが解る。小夜は考える……なぜ自分は公園などで目を覚ましたのかを……
 多分、拓哉が段取りをして自分を公園まで連れてきてくれたのだと思う。なぜこんな面倒な事をしたのだろうか? 答えはすぐに解る。何もなかった事にする為に、それも自分の為ではなく私の為に……

 小夜が拓哉の住んでいる屋敷を見つけ、再び門の前に立ったのは祭りの夜から十日以上もしてからだった。なにせこの数日間、無断外泊と飲酒(本当はもっと凄まじい事なのだが)の罰として、両親から自宅謹慎を命ぜられて先日、ようやく外出が許可されたばかりなのだ。
 拓哉の屋敷は、うろ覚えの記憶と図書館で調べた地図や、拓哉が言っていた事故の記事を基にして古新聞などを頼りに捜すと、さほど苦労する事無く見つかった。
 見つけ出した拓哉の家だと見当をつけ、訪ねあてた先で知った事は、古くからある有名な資産家である事や、拓哉が言ったとおりに家族の者が皆死去しており若い男(多分、拓哉)が一人、そこに少し前まで暮らしていたと言う事……
 そう過去形で暮らしていた。小夜が尋ねていった時には、その屋敷には誰も住んでいなかった。門は堅く閉ざされおり、屋敷はすでに廃墟の雰囲気さえ漂っていた。それでも小夜は近所(とはいえ、かなり離れていたが)の人に、ここに住んでいた人のことを聞くが詳しい事は何一つ解らなかった。ただ、一週間以上前にいなくなったと言う事が解っただけだった。
 小夜はもう一度、門前に立って屋敷を見上げて思う。あの祭りの夜の出来事は夢だったのだろうかと、神を迎える夜の不思議な一夜の夢だったのだろうかと……小夜は、首を振りそれを否定する。たとえ本当に夢だとしても拓哉と交わした、あの一夜の思い出は忘れない……
「拓哉さん、私は忘れないわ、貴方の顔、声、身体、心の悲しみ、優しさ、犯した罪と罰も……そう、すべてを憶えていて上げるから、私が生きている限り永遠に……」
 小夜はそう言うと屋敷の門を後にする。そして振り向かずに真っ直ぐに歩いていく顔を上げて、拓哉の分も未来を生きていくかのように正面を見ながら、しっかりとした足取りで……


                              U


 小夜の住む街と、その近郊の都市の何軒かに現金が、数百万円単位で投げ込まれる事件が相次いだのは、小夜が神迎えの夜に体験した不思議な出来事に遭遇した翌日からであった。
 現金が投げ込まれた家に共通する物は無く……少なくとも、どの家でも投げ込まれる原因など、思い至らないと言う話であり、現金が投げこまれた家の住人の一人はインタビューに答えてこう言っている。
「さあ? 理由なんて分かりませんわ、でも私の美貌に目が眩んだ殿方が、少しでも関心を引こうとでも考えて投げ込んだのかもしれませんわね。オーホホホホホッ!」
 事実、確かにインタビューに答えた、その女性はかなりの美人であり、とても高校生には見えなかった。レポーターや野次馬は案外本当にそうなのかも? と思いを巡らし、何時しかこの話題も忘れ去られて行った。

 そしてレポーターや野次馬、警察の人間が帰った後、インタビューを受けて女性……少女は自室に引きこもり部屋に鍵を掛ける。
 先ほどのインタビューの時とはまるで違う表情を顔の浮かべ、机の引き出しから先日購入したばかりの大型のカッターナイフを取り出す。
 チキチキとカッターの刃が、長く伸ばされて行く……
 そして、呻く様な……醜悪な何かを吐き出すかのように言葉を彼女は、その整った唇から吐き出し漏らす。
「誰が、誰が許すもんですか、もし……もしも、見つけたら、見つけたら……私の前に姿を現したら……絶対に……」
 彼女には薄々解っていた。投げ込まれた現金の意味が、あの時に自分を嬲り、犯した男からの物である事を直感的に、口止めの意味か? 謝罪の意味か? それとも別の意図があるのか? それは不明だが、激しい憎悪と殺意が心を支配していくのがわかる。
「殺してやる、必ず! 後悔させてやるから、必ず! 私が受けた苦しみの何倍にして、叩きつけて絶対に殺してやる!」
 手に握られたカッターナイフが、激しく机に突立てられる。その拍子に伸ばされたカッターの刃がへし折れ、跳ね飛んだカッターの刃が少女の……桜井麗子の愁眉な額を薄く傷つける。流れ出た血が目に入るが、麗子は瞬き一つする事なくカッターを突立てた机を凝視する。血が涙と混ざり合い、血涙となり麗子の頬を伝い落ちる。
 憎悪を纏った凄惨な美が、麗子の顔を妖しく彩っていった……



                           神迎えの夜に…〜小夜 了                





                                    第八章  「 想い 」



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