第 六 章

               「 狂気 」



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 ギシリ!
 ベッドが微かな軋みを発する。その軋み音を出したベッドの上では、拓哉が全裸の小夜に覆い被さりながら抱きしめ、小夜の白く柔らかな胸を慈しむかのように揉み上げ、胸に舌を這わせている。
 そして乳首を口に含み舌を使いながら音を立てて吸う。まるで赤ん坊が、母親の乳房を頬張り乳を吸うようにチューチューと音をたてながら……

 胸の上を何か異質な、何か得体のしれない物が這っている様な感触があった。何かが乳首を覆うようにしながら、その覆った乳首を包み込みながら吸っているような不思議な感覚……
 言い知れない嫌悪感……しかし同時に感じる嫌悪感とは違っている、別の何か身体の芯が熱くなるような不思議な感覚が……その感覚は、快感と言って良い感触であり、その感覚に小夜は無意識に声を出していた。
「あっ! くぅうぁ、気持ち……いいっ……」
 小夜の口から無意識に言葉が漏れる。それは快楽と官能の言葉であった……
「うっあぁ、うっぅ……んぁ」
 自分の口から漏れ出させた喘ぎ声、その喘ぎ声に呼び覚まされるようにして小夜は、低い呻き声を出して意識を取り戻す。そして意識を取り戻した小夜の目に、自分の上に覆い被さり胸に舌を這わせながら乳首を捏ねている拓哉の姿が写る。
「あっ! やっ、やめて!」
 覆い被さる拓哉から逃れようと小夜が抗う。しかし拓哉はそんな小夜の抵抗を軽々と押え込む。
「目が覚めましたか小夜さん、ちょうど良かった」
 小夜をベッドに押え込んだまま拓哉が笑顔を見せ言う。
「何が、ちょうど良かったんです、手を! 身体を離して下さい!」
 拓哉は小夜の耳元に囁くように言う。
「今から小夜さんの処女を貰う所だったんですよ、でもどうせなら意識のない小夜さんを犯すよりも、こうして意識のある時に小夜さんの反応を確かめながら犯す方が、何倍も楽しめますからね」
 小夜は恐怖する。いま自分が犯されてしまうと言う事だけではなく、この男の考え方や行動の異常性の方により多くの恐怖を覚える。
「変よ、おかしい……彼方は狂っているわ……」
 小夜は拓哉に向かって呻くように言う。拓哉は眼を伏せるように瞑るが、次の瞬間には元の小夜をからかう様な笑顔の表情に戻り小夜に言う。
「ええ、僕は狂ってますよ、そう、二年……いや、それ以上前からね。それに知らないんですか? 狂う事は、狂っていられる事はとても、そう……とても楽なんですよ僕にとってはね。さて、無駄話しはこれくらいにして小夜さん、貴女の処女を貰いますよ」
 拓哉は不自然に感じる動作で、掴み戒めたままの小夜の両腕を、頭の方へと押し付けながら、小夜の身体の上にゆっくりとのしかかる。そして小夜の腹の上あたりに拓哉の勃起したペニスが押付けられる。
「ひぃ! いやっ!いやっ! やめてぇぇ!」
 悲鳴を上げ必死に逃れようとするが拓哉の身体はびくともせず、小夜に身体の上に覆い被さってくる。何とか自由に動く足をばたつかせ、戒められた両手を振り解こうと足掻く、その抵抗する小夜の手の先に、何か棒の様なものが触れた。
 小夜はそれを無我夢中で握り締めた瞬間、不意に小夜の手を押さえていた拓哉の手の力が不自然に緩む、小夜は夢中で手を振り解くと握り締めた物を反射的に拓哉の身体に叩き付けるように突き出すのと同時に、何か鈍い手応えが握っていた物を伝わり小夜の手に伝わる。そして小夜の目に拓哉の肩に突き刺さっているナイフとそのナイフを握り締めている自分の手が写った。
「あっ、うぅあぁぁ……」
 驚きのあまり小夜は口をパクパクさせながら握っていたナイフの柄を離すと、ベッドのシーツを身体に巻き付けてベッドから転がるように滑り落ちると這いずりながら、部屋の隅の方に悪い事をした子供のように座り込み、すすり泣き始める。
 ベッドの上で肩からナイフを生やした拓哉が、肩から生えたナイフとすすり泣く小夜を交互に見ながら言う。
「小夜さん、こんな所に刺しても僕は死にませんよ、どうせなら、ここに刺して下さい」
 拓哉はそう言うと肩から流れる血で、自分の左胸……ちょうど心臓の辺りに、自らの手形の刻印を擦り付ける。そして肩のナイフを引き抜く、ナイフで塞がれていた傷口から大量の血が流れ出て、拓哉の身体を赤く染めるが、それを気にする事も無く部屋の隅で泣きじゃくる小夜の方へと近づき、引き抜いたナイフを手渡そうとする。
「あぁぁ、うぅくぅぅ……あぁひぃ……」
 イヤイヤする子供のようにシーツにくるまり、身を縮こませたまま泣きじゃくる小夜にナイフを無理やりに握らせると、強引に自分の方へと身体を向けさせ、大声で叫ぶ。
「早く! 刺すんだ!」
 拓哉の声に驚ろいた小夜が、握らされたナイフを目の前の拓哉の胸……赤く手形の刻印が付けられた場所に、命令されるまま反射的に突き立てようとした。しかし身につけていたシーツが小夜の腕と身体に絡まり、ナイフの狙いが逸れて拓哉の脇腹を浅く削ぐだけで終る。小夜は握ってたナイフを放り出すとシーツに再び包まったままその場にへたり込み顔をシーツで覆ってしまう。
「いやぁーー、いや! そんな事言って私を、私を虐めないで……お願い……」
 そんな小夜を見て拓哉は哀願でもするかのような口調で言う。
「ぐぅぅ……駄目ですよ小夜さん、もっとよく狙って下さ……!」
 肩と脇腹の傷を気にも留めず、小夜に再度のナイフによる自分の刺殺を再び命じる拓哉の声が不意に途切れる。そして凄まじい絶叫が起こる。
「あがぁつぁ! ぐはぁーっ! いぃぃひぃぃ!」
 奇妙な呻き声に小夜が被っていたシーツから、恐る恐る顔を出し声の方を見る。そこには頭を押さえ肩と脇腹から血を流しながら、苦痛の呻き声を上げのたうっている拓哉がいた。


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「どうしたんですか、しっかりして下さい」
 最初、呆然と苦しみもがく拓哉を見ていた小夜は、思わず拓哉に近寄る、そして少し迷った後、手を差し伸べて暴れる拓哉を苦労しながらベッドの方に連れ横にする。そしてベッドのシーツを破り、肩と脇腹の傷口に包帯代わりに巻き付けて止血の処置をする。やがて拓哉の苦痛の呻き声が徐々に収まり、息が多少荒いものの平静を取り戻し始める。
「貴方は……一体何をしているのですか?」
 落ち着いた拓哉が、自分を心配そうに見つめて額に手を当ている小夜を、奇妙な物でも見るかのように尋ねる。
「えっ、あの、彼方があんまり苦しそうですし、血だってこんなに出ていたので……」
 小夜は答えに詰まる、確かに自分を犯そうとし、狂っているとしか思えないような異常な行動を取る男がいくら苦しんだ所で自分には関係なく、それどころかこれを好機として逃げ出す方が当然の事であった。しかし小夜は目の前で苦しみもがいている男を放っておく事が出来なかった、気がつくと男をベッドに寝せ介抱をしていたのであった。
「小夜さん、貴方は信じられないほど優しい人だ、それでなければよほどの馬鹿だ!」
 拓哉は呆れたような、馬鹿にしたような口調で言う。そして額にのせられている小夜の手を掴むと、自分の方に引き寄せ小夜の唇を強引に奪う。
「あっ!」
 そして荒々しい口づけを小夜に浴びせながら吐き出すように言う。
「でも僕は狂っているんですよ? さっき言ったでしょう? 小夜さんに残された選択は僕を殺してここを出て行くか、僕に犯されて続けて、短い一生を僕の肉奴隷としてこの屋敷で暮らすかの二つしかないんですよ」
 拓哉は小夜の身につけていたシーツを剥ぎ取り再び全裸にする。そして床に落ちていたナイフを再度握らせる。
「貴方と言う人は……」
 ナイフだけを持たされた小夜が拓哉を見て言う。
「さあ、どちらにするんですか? 小夜さん早くして下さい、僕の我慢もそろそろ限界です」
 拓哉が両手を広げ、まるで小夜に自分を刺せと言うかのように近づいていく、ジリジリと小夜を壁際まで追いつめた拓哉が小夜まで後一歩と近づいた時、小夜は目を堅くつぶり手のナイフを動かした。しかしそれは拓哉にでは無く自分の喉元に向けてであった。
 たとえ、どんな人間であっても小夜は人を傷つけたくなかった。だからと言ってこんな所で見知らぬ男に、この様な獣に犯されたくもなかった。追いつめられた小夜は、拓哉が言っていた選択とは別の最後の選択を実行した……それは自らの命を絶つ事であった。
「くっ!」
 小夜は自分の喉にナイフを突き立てるが、不思議に痛みはほとんど感じられなかった……と言うより、痛みはまるでなく、苦しくもなかった。
 狙いを外す筈はない、ナイフを何かに突き立てた感触も手の中にある。不思議に思い堅くつむった目を開けた小夜の目に腕から血を流しうずくまる男の姿があった。
「何で……」
 小夜は手にしていたナイフをその場に置くと、男に近寄り腕の傷口を見ると、傷口は斜めに長く出来ていた。多分小夜が喉元に向け動かしたナイフの軌道を腕を差し出す事により変えたものの、ナイフで喉を裂く変わりに差し出した腕が裂かれたのであろう。
「ひどい! すみません、少し待っていて下さい」
 小夜はそう言うと全裸のままベッドの方に向かう、そしてシーツの一部を細く切り裂き包帯状にするとそれを男の腕に巻き始める。
「くっくくく、はははぁ……」
 不意に拓哉が笑い出す。拓哉の腕に布を巻いている小夜が吃驚したような顔をして拓哉を見る
「どうしたんです、どこか痛いんですか?」
 拓哉は笑いながらベッドの方を顎で指して言う。
「小夜さん、ベッドの下に貴方の浴衣があります、裸のままでは風邪をひきますよ、着替えなさい」
「え?きゃっ!」
 小夜は、自分が裸なのに初めて気がつく、そしてうずくまる様にベッドに近寄り下を覗き込むと、そこには確かに小夜のイチョウ柄の浴衣が巾着袋と一緒に籠に綺麗に畳まれて置かれていた。小夜はベッドの影で拓哉から見えないように手早く浴衣に着替える。そんな小夜を見ながら拓哉が聞く
「小夜さん、なぜ貴方は一度ならず二度も僕の傷の手当てをしてくれたんですか? 何か期待でもしてたんですか? 僕が反省でもして小夜さんを解放するとでも……」
 小夜は小さな、しかしはっきりとした意思を持つ声で答える。
「怪我をしている人を放って置けませんから」
 小夜の答えに拓哉は呆気に取られたような顔をする。そして次の瞬間、腹の底から絞り出すような大笑いをし始めた……傷の痛みに顔をしかめながら。
「怪我している人を放って置けません……ですか! 小夜さん、貴方と言う人は……」
 拓哉の笑い声はしだいに小さくなり止まる
「どこか痛むんですか?」
 小夜が心配そうに声をかける、拓哉は座り込んだまま小夜を見る、小夜も拓哉を見る、二人の視線が一瞬絡み合い繋がる。拓哉の唇が何か言おうとするかのように微かに動く、しかし拓哉は下を向き小夜の視線を外すと吐き出すように言う。
「帰れ、俺の気が変らないうちに、俺がまた狂わないうちに! そして警察に言うなりして俺を……」
 拓哉はそう言うと下を向いたままドアを指差す。
「鍵は掛かってない、屋敷の門を出て三十分も歩けば国道に出るはずだ」
 小夜は拓哉を見る。今まで自分を嬲り、犯そうとしていた同一人物だとはとても思えなかった。何かとても弱々しくまるで小さな子供が、泣きそうになるのを必死に我慢して、虚勢を張っているような……ふと思い出す。路上で轢かれていた仔犬の事を、弱々しく、誰かに救いを求めるかのように尻尾を動かしていた……死んでしまった仔犬の事を……今の拓哉の姿は、その仔犬の姿を何故か思い起こさせた。
 自分を見ている小夜の視線に拓哉は気づく、しかしその視線を無視するかのように床に視線を落としながら、再び怒鳴るかのように拓哉は言う。
「何をしている、早く出て行って警察にでも行き、ここで起こった事を言うが良い、俺はこれから自分で自分の始末を着けるのに忙しいんだ!」
 やがて部屋のドアが開く音と閉じる音がして小夜の気配が消える。拓哉はゆっくりと顔を上げると部屋の中を見まわす、そして小夜が居ないのを確かめるとゆっくりと立ち上がろうとした。
 立ち上がろうとした拓哉が無様に転ぶ、手足に思うように力が入らない、仰向けに転がった拓哉が虚ろな眼差しを天井の照明に向ける、肩、脇腹、腕、三ヶ所から流れ出た血液は考えていたよりも遥かに多く、小夜がした手当て程度では出血を完全に止めるのは不可能だった。
「自分で自分を始末する手間が省けたか、まったくもって……実にありがたいことだな……」
 誰に言うとなく拓哉が呟く、天井の照明が急激に暗くなっていく、それにつれ意識も段々と薄れていく、人は死ぬ時過去が走馬灯のように思い出されそれを見ると言う、拓哉は何か過去の思いが思い出されないかと少しだけ期待する。しかしすべてが暗い闇の中に落ちていくだけでなにも見えてこない。
「ふん、やはり無理か……当然の事だな……」
 急激に薄れる意識の底で、拓哉はドアの開く音を微かに聞いたような気がしたが、意識は急激に闇の中へと落ちていった。




           第七章 「 告白 」             第五章 「 淫靡な惨劇 」



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