第 七 章 

               「 告白 」



                             T


 溢れんばかりの人の群れ……その中に彼はいた。
 しかし彼は独りきりであり、全ての人達が彼の横を、後ろを、前を、上を、下を……彼に触れる事もなければ、見る事もなく通り過ぎて行くだけであった……そう誰も彼の事を知らない、そして彼自身も他の人のを……それどころか自分の事すら知らない、そして人々が闇に変わって行く中、彼( 自分 )は埋もれ消えて行くだけであった……
 それは何時も見る夢だと自覚している。自分以外の人の闇の中で、苦しみもがきながら手を伸ばし、助けを求めても誰も手を差しのべてくれる筈も無く、ただ人と言う闇の中へと沈み込んで消えて行く彼( 自分 )……それでも彼( 自分 )は、手を伸ばし助けを求めてしまうのだ……
 彼( 自分 )が何時もの様に、人の闇の中に消え去る直前、この夢を見始めてから初めて消え去っていく手の先に何かを感じる。そしてそれは消え去ろうとする彼( 自分 )を元に戻す。彼( 自分 )は手の先に感じた何かに必死にすがる。助けを求めて、それにすがりつくように!

 ベッドの上で目を覚ました拓哉が最初に見たのは、心配そうに自分を見守る小夜の顔であった。
「あっ、気がついたんですね良かった」
 小夜はそう言うと心底安心したような表情を浮かべる。
「なぜ、お前がここに居るんだ……出て行ったんじゃないのか」
 拓哉はベッドから起き上がろうとする。そして気がつく小夜の手を握り締めている自分の手の存在に……
「お前の手だったのか、あれは……」
 小夜の手を握り締めている自分の手を見つめて拓哉が言う。目を覚ましたばかりのせいか視界がぼやける。そんな拓哉を見ていた小夜が心配そうに言う。
「あの、何か苦しそうに涙を流しながら何かを捜しているように手を動かしていたので、少しでも安心させてあげようと思って……何か恐い夢でも見たんですか?」
 小夜の言葉に反射的に拓哉は目元に手をやる。、そして涙を流している自分に気がつく。
「なっ!」
 一瞬、戸惑ったような表情をした拓哉が小夜を見る。しかし次の瞬間顔を背けてドアを指差して吠えるように言う。
「出て行け、頼むから出て行ってくれ、出て行かなければ、俺は、俺は、お前を……また……頼むから出て行ってくれ!」
 拓哉の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか小夜は立ち上がる。しかしドアの方には行かず、顔を伏せ泣くのを必死に堪えている拓哉の側により、そっと拓哉の頭を自分の胸に抱かかえ優しく慈しむかのように語りかける。
「泣きたい時には、無理をせず思いっきりないた方が楽になりますよ、私もそうですから……」
 拓哉は頭を抱かかえられた瞬間、ビクリッと身体を震わせる、しかし小夜の言葉を聞き、暖かな小夜の胸の感触を顔に感じた瞬間、今度は胸に顔を埋め泣き始める。最初はすすり泣くように、次には堪えるかのように、そして最後にはまるで小さな子供が、母親に助けを求めながらも甘えるように号泣する。その泣き方は、とても不器用であり、それ故に純粋な泣き方であった。
 小夜はそんな拓哉の頭を優しく撫でながら受け止める。その姿はまるで母親の様であり、そして恋人の様でもあった……

 どれ位時間が過ぎたであろうか? 長いようでいて、意外に短い時間だったかも知れない、拓哉は小夜の胸に埋めていた顔をそっと上げると、涙と鼻水で濡れた顔で小夜の顔を見る。小夜はそんな拓哉に優しく微笑み言う。
「落ち着きましたか?」
 小夜の問いかけに拓哉が頷く、そして目頭を押さえ眼の周りの涙と顔の鼻水を拭いながら聞く
「小夜さん、貴方は此処から出て行ったんではないんですか?」
「ええ、出て行きました、でも……」
 小夜は答える。一旦は屋敷から出かけたものの、拓哉の傷が気になり戻ってきた事、そして倒れている拓哉を見つけてベッドまで運び、部屋の中にあった救急箱を使って傷の手当てをした事、そしてうなされている拓哉を見守っていた事を
「そうですか……」
 綺麗に傷口に巻かれた包帯を見ながら拓哉は静かに言う。そして小夜の方を見て冗談とも本気ともつかない口調で言う
「それでは、小夜さん……御礼に貴女を犯す続きを始めましょうか?」
 拓哉はそう言うと小夜を引き寄せベッドに押し倒す。そして小夜の浴衣の襟を広げ乳房を剥き出しにするが、小夜は声を上げる事もしなければ抵抗もせず、押し倒されたまま下から黙って卓也を見上げる。
「小夜さん、抵抗はしないんですか、私を罵らないんですか?」
 拓哉は広げた浴衣の襟から手を離し、逆に元に戻しながら言う。
「私はこうゆう人間なんです、早く出て行って警察にでも行って保護してもらいなさい……」
 そして気がついたように言う。
「もし、風呂場で刺した男の事が気に掛かっているなら心配ありません、あれは貴女を騙す為の芝居です、あの二人を殺したのは間違いなく私です」
 拓哉はどこか冷めたような口調で喋る、そしてドアを指差しもう一度言う。
「早く出て行って下さい、そして二度と戻って来ないで下さい、御願いします……」
 拓哉は、消え入る様な弱々しい声で言い終えると、小夜に背を向け沈黙する、小夜はベッドから起き上がると背を向けている拓哉に話し掛ける。
「わかりました。言われた通りに私は出て行きます。そして警察に行って起こった事をすべて言います。でも多分貴方はその前に……だからその前に一つだけ教えて下さい」
 拓哉は何も答えない、小夜はそれを肯定ととったのか否定ととったのか、構わずに話し続ける。
「貴方は、私をどうしたかったのですか? 私をここに連れてきて私に何を求めたのですか? 私を犯す……レイプする事だけが目的だった理由ではないはずです! 教えて下さい、私には知る権利があるはずです」
 沈黙が二人の間を流れる、答えを拒否するかのように背を向け続ける拓哉、そして答えを求めるかのようにその背を見続ける小夜、やがて拓哉がひとり言を言うかのように話し始める……


                             U


「今から二年前、一人の男が病院のベッドの上で目を覚ましました。その男はなぜ自分がこんな所に居るのか解らなかった。そして自分自身が誰なのかも解らなかった、そう、男は記憶をなくしていたのです……」
 その男の名前は、新城拓哉、T大三回生、198X年10月10日生れ、22歳、血液A型、家族は両親が二年前に他界しており、肉親は妹が一人いるだけ、すべては他人から教えてもらった自分の事、そして自分が引き起こした交通事故により、唯一の肉親である妹が瀕死の重傷である事、そして自分は奇跡的に軽症である事……
 次々に教えられる自分の事や家族の事、そしていま自分が置かれている状況、何もかもが悪い冗談の様な気がしたと言うのが本音だった。本当に自分は新城拓哉と言う人間なのだろうか? 自分が自分だと自信を持って言えなかった。
「医師の話しもそこそこに、妹が私に会いたがっていると言うので、私は妹の所に連れて行かれました。そして私は包帯で身体をぐるぐる巻きにされた少女の所に連れてこられました。苦しい息の下その少女は私を見て言いました『お兄ちゃん』とね……」
 拓哉はそう言うと部屋の中にある机を指差す。
「机の上の写真立てを見てください」
 拓哉のみ言われるまま、小夜が机にふせられている写真立てを手に取り見る。うっすらとガラスに着いている埃を拭き、飾られている写真を見る。写真には二人の人物が写っていた。
 若い男性と髪をポニーテール風にした、小夜と同じくらいの年頃の少女が手を組み笑っている。
「この写真は……」
 小夜は拓哉と写真の若い男を交互に見る、多少痩せて険があり印象が違う所もあるが、紛れもなく同一人物であった。ならば拓哉と手を繋いでいる少女は妹さんなのだろうか?
「私と、そして妹の恵美の写真です、妹を見て気がつきませんか? 眼鏡こそしていませんが似ているのに」
 小夜はそう言われて気がつく、この少女が自分に似ている事に……
「私に……ですか?」
「ええ、最初は眼鏡をしていた事もあり、私もはっきりと気がつきませんでしたが、洗面所で髪をポニーテールにしていた時は正直驚きました……妹が生き返ったのかとね」
 だから洗面所で私を見た時、あんなにも驚いたような顔をしたのか、小夜は思い出し納得した。
「それで妹さんは?」
「死にましたよ……」
 小夜の問いに拓哉は答える、何か苦い物を吐き出すかのような苦渋に満ちた口調で、そして話を続ける。
「私は、その少女が本当に私の妹なのか解らなかった、解る訳がありません、自分自身すらが解らなかったのですから、それでも医師から教えられた妹の名前を言い、手を握り励ましました、恵美! 頑張れとね」
 少女は握り締められた手を弱々しく握りかえし、拓哉の方を向き心配をかけまいとするかのように包帯の下で笑顔を見せようとする。しかしその笑顔は途中で止まり握っていた手を離して言う。
『あなた……誰なの? ほんとうの、おにいちゃんは……どこにいるの?』
「多分、直感的に恵美には解ったのでしょう、兄が何時もの兄でなかったのが、自分の事を何も知らない……まったくの、そう見知らぬ他人になってしまっているという事をね」

 少女は命の灯火を急速に弱めていく、兄を……自分を愛してくれている筈の兄の名を呼びながら……
「恵美は最後まで、私ではない兄を呼んで、呼び続けて死んだそうです。私はその間、何も出来ませんでした……いいえ、あえて何もしなかったのかもしれません、心の中で少女が呼んでいるのは少女が知っている兄であって、今の自分ではない……何故なら、自分はその少女の事をまったく知らない上に、さっき少女に拒否されたではないかと思って……」
 恵美の最後は看取れなかった……いや、あえて看取る事をしなかったのかもしれない、やがて自分の病室で、恵美が死んだと医師から聞かされてもあまり動揺していない自分に気づく、正直に言えば記憶を無くした自分の過去を知る数少ない肉親が、いなくなった事だけが残念だった。とにかく自分の事を考えるだけで精一杯で、自分の記憶の中に存在すらしていない妹の事など、考える余裕も意思もその時には、まるでなかった。
「私の身体の傷は二週間もしない内に治りました。ただ記憶だけは三ヶ月以上も入院してましたが、まるで戻らずじまいで、結局は自宅療養の名目でこの家に……自分の家だと教えられた戻りました。その方が何かの拍子に記憶を取り戻すかも知れないと言う事でね……幸か不幸か交通事故の件は記憶をなくしたせいもあり、運転ミスと言う事になり不問になりました。もっとも後に判明したのですが、実際は違っていたのですがね……幸い記憶を無くしたと言っても、都合良く日常生活を送るぶんには、何の不自由はなくありませんでした。それに両親が遺してくれていた財産と恵美の保険金等、金銭的にも不自由ありませんでしたし、ただ自称、親戚を名乗る優しい人達が何十人とやってきては、一人では寂しいだろうから一緒に暮らさないか、と言ってきたのにはうんざりしましたがね……」
 皮肉な笑いを拓哉は浮かべる。その自称、親戚達も一年もするとやってこなくなり、後には広い屋敷の中に拓哉だけが残される、病院には週に一度は行く、しかし相変わらず記憶が戻らない、やがて拓哉は自分で自分の記憶を捜だそうとし始めたのは当然の事だった。
 最初は自分の部屋を捜すが、どうやら日記なぞつける性格ではないらしく、特にこれと言った物は発見出来なかった、両親の部屋も同じであった。
「恵美の部屋に入る事は躊躇われました。しかし結局は入り机の引き出しから鍵の掛かった日記帳を見つけ内容を見ました」
 日記には当たり障りのない事しか書かれていなかった。何処何処のパフェが美味しいだの、学校であった事、友達の事、兄である自分の事も多く書かれていた。日記を読む限り仲の良い兄と妹であった事がわかる。日記を読み進めていく程に自分の事が、兄の拓哉の事が多く書かれていくのに気がつく、心の中に苦い病院の出来事が思い浮かぶ……しかし、これと言って記憶を呼び覚まされるような事は書かれてなかった。拓哉は日記帳を閉じて机の中に戻すと何気なく机の上にあったクマのヌイグルミの頭を叩く、別に深い意味はないただ何となく叩いただけであったが、ふと叩いた手の先に違和感を感じた。拓哉はクマのヌイグルミを調べると、チャックで閉じられているクマの背中の中に、隠すようにしまってある小さな紅い手帳を発見した。そしてその手帳に書かれている事に衝撃を受ける。
 ここまで話した拓哉が小夜に聞く
「小夜さん、手帳を見ますか?」
 小夜は頷く、拓哉は部屋の中にある机を指差す。指差された先には、クマのヌイグルミが鎮座していた。
「あのクマの背中にチャックがあります。それを開けば中に手帳がありますから中を読んで下さい」
 小夜は言われた通りチャックを開く、中に紅い表紙の小さな手帳が入っている、小夜は手帳を開くと視線を落とし読み始める。

 
O月X日

 
昨日、拓哉兄さんと結ばれた。後悔はしないし、したくもない、でも不安だ。私達はこの先どうなるのだろう? だからこの手帳に私の想いを書いていく事にする、正直に昨日の大切な想いを忘れないように、そしていつか訪れる兄との最後の日まで……

「これは……」
 小夜は手帳の最初のページを読み、絶句し拓哉の方を見る、拓哉は小夜の方を見る事もせずに背を向けたまま黙っている、小夜は再び手帳を読み始める、そこには手帳の持ち主である恵美が綴った兄に対する切ない、禁断の想いと行為が書き綴られていた。自分が如何に兄の事が好きであるか? そして何時愛されたか? どのようにして愛されたか? ……それらの事が兄に対する愛情や想い、背徳の行為に対する恐れと後悔、そして行為の快感と官能が、どのページにも書かれていた。そして最後のページには何に対してであろうか、ごめんね、ごめんね……と言う言葉が手帳いっぱいに書かれていた。
「私は実の妹と、男と女の関係だったのです」
 顔を両手で覆った拓哉が言う。
「本当の事なのですか、妹さんの想像だとか、空想だったんじゃないですか」
 小夜の助け船とも言える言葉に拓哉が静かに、しかしはっきりと答える。
「私も信じられなかった。いや正確には信じたくなかった……だから私は自分の部屋の中を徹底的に捜す事にしました」
「部屋の中を捜す?」
「もし、手帳に書かれている事が本当なら、私の部屋にも何か証拠となる物がある筈、逆に何も無ければ手帳に書かれていた事は恵美の想像、妄想だと言える……少なくとも自分だけは、そう思い込む事が出来るはずですから」
 拓哉は自分の部屋をもう一度、徹底的に捜す。机の引き出しを全てぶちまけ、ベッドの隙間や家具の裏側をも最後には床の絨毯をも引き剥がして捜す。そして散々に捜しまくった末に気がつく、捜していない所が一ヶ所だけある事に、まるでその場所を捜すのを怖れているかのように
「私はその場所、本棚の一番隅に置いてある本……皮肉でしょうか、その本……それは聖書でした。その聖書を手にとり調べました。聖書の中は繰り抜れており、黒い手帳が隠されていました」
 拓哉はその手帳を開く、その中には自分の筆跡で、恵美との事が書かれていた。

 
〇月X日

 昨日、恵美を抱いた、私は地獄に落ちるのだろうか? しかし後悔はしない、恵美となら共に地獄に落ちたとしても……


 そこには恵美が手帳に書き綴った想いと同じような事が書かれていた、妹に対する兄として以上の思い、一人の女性としか見れなくなってしまった妹の事などが書き綴られていた。
「事実だったのです、しかもそれだけではありませんでした。私が記憶をなくし、恵美を殺してしまった交通事故も、私の運転ミス等ではなく……」
 手帳の最後のページの方に妹との関係が破滅に向かいつつある事が書かれている、恵美の妊娠……それが破局への道であった。苦悩する二人は、やがて一つの結論に達する、その事が手帳に書かれている。
「それを読み知りました、そうです。一緒に生きていく事は出来なくても、一緒に死んでいく事は出来る。あの交通事故は私の運転ミス等ではなく、覚悟の上の事だったんです、私と恵美の心中だったんです」
 しかしその結果は、皮肉にも恵美だけが死に、記憶をなくした自分が生き残ると言う結果になった。
「私は自分とゆう人間が信じられなくなり、そして自分を恐怖し嫌悪しました。私は本当に人間として生きていたのだろうか、血の繋がった実の妹を愛し、妊娠させた挙げ句に妹だけを死なせ……いえ、殺したんです。そして、自分だけが生き残り、その上その事を忘れ去ってしまい、一人だけのうのうと生きている! 私はこの現実に耐える事が出来ませんでした」
 それからの生活は酒とクスリに溺れる毎日だった。いま死ねば楽になれると思う反面、病院での恵美の言葉……
『あなた……誰なの?』
 その言葉が自己を苛み、死んだ妹に出会う事を恐れる心と、心の片隅では覚えてもいない事で何故、自分が苦しみ死ななければならないのかと言う思いもある。二つの相反する感情が自分を虫食み、狂気へと少しずつ追い込んで行く、酒とクスリの量も増え続けて行った。そんな自堕落な生活をする身体に異変が起こる。
「最初は極軽い痛みでした。酒の飲みすぎかクスリの副作用、そんなものだろうと思っていました……しかし数ヶ月前凄まじい頭の痛みが私を襲い、気がついた時には病院のベッドの上でした」
 詳しい検査の結果、判明し医師が言う話しでは、交通事故の時に出来たと思われる脳血種があり、それがジワジワと脳を圧迫して激しい頭痛を引き起こしており、そしてそれだけではなく記憶喪失等の記憶障害もそれが原因らしいという話であった。
 本来ならすぐに手術をして脳血種を取り除かなければならないのだが、脳血種の位置があまりに脳底の奥の複雑な部位にあり、手術を強行した場合ほぼ100%の確率で脳障害を引き起こし、運が良くて植物状態、悪ければ死亡する事も考えられる為、結局は薬を使った対処療法が施される事になった。しかしそれは痛みをある程度押さえるだけで、根本的な治療ではなく、事実上死の宣告であった。
「医師の見立てでは約半年から一年、それが私に遺された時間でした」
 拓哉は死を恐怖した、より正確に言えば自分がこの世界に何も残さず、また自分という存在がこの世界の中から誰にも憶えていてくれる事さえなく、孤独のうちに消え去るのが恐かった。
 事実、過去の記憶と唯一の家族で妹以上の存在であった恵美、この二つを失った事により拓哉と現実世界との繋がりが消え去ってしまっていた。少なくとも拓哉はそう考えた……どんな形でも他の人に自分を憶えていてほしかった。それが憎しみや恐怖だとしても、自分という存在が忘れ去られ、この世界から完全に消え去るよりは遥かにいいと思った。そして、自分の中に狂気と言って良い考えが思い浮かぶのには、そんなに時間を必要とはしなかった。
 それは、まさに狂気としか言えない考えだった、女を襲いその身体と心に自分を刻み込まさせる……妹と肉体関係を持った自分、そんな外道な自分には、お似合いの行動だと思った。余談だが、人は身体が弱ったり、死期が迫ったりすると性欲が異常に増大する事がある、これは自分の遺伝子を残そうとする生物の本能のせいだと言う学者もいる。自分が異常とも言える行動を取ったのも、それに関係があるのかもしれない……しかし、その行為はどのような理由があろうとも、決して許される事ではなかったし、許してもいけない事であった。しかし、町の盛り場で木島惣一と大川隆二の二人組と出会った時にその考えは実行に移された。
「最初に女性を襲ったのは、一ヶ月ほど前でした」
 歩いていた若い女性を車に引きずり込み拉致して人気の無い場所まで連れて行き犯す。呆気ないほど簡単にそれは成功した。最初に惣一と隆二が女を犯した。そして自分の番に回ってきた時に、自分の身体の異変に気がつく、自分の男性自身がまるで女に反応しない事に……結局その時は自分の好みのタイプの女ではないと言い、女を抱かずに誤魔化したが、次も、その次も輪姦するために拉致した女性に、自分の男性自身は反応はしなかった。
「脳血種のせいか、それとも乱用したクスリと酒のせいなのか、私の男としての機能は役にたたなくなってました。ひょっとして罪の意識のせいだったのかもしれません、何に対してかは解りませんがね」
 その後、三人は何人もの女性を虜辱し犯す。女子中学生、女子高生、女子大生、人妻、OL、etc……正確には、女を犯すのは惣一と隆二の二人であり、女を探し出し目星をつけるのもその二人であった。行きずりの女性を車の中に連れ込み犯した時もある、二人が前から目を付けて下調べていた女性を言葉巧みに車に乗せ犯した時もある……そんな中、拓哉はと言うと、犯される女達に対して、理由をつけては(好みのタイプではない、趣味ではない等々)冷然と見ているだけであった。そして拓哉は女を抱けない鬱憤と焦りからか、犯されている女に対して残虐と言って良い行為を加えるようになる。それはおよそ非人間的な行為であった。
「最低の人間が最低の人格の元で行う最低の狂った行為でした。それでもその行為を止める事が出来ませんでした。いいえ、私はその行為を確実に楽しんでいました……犯され、泣き叫ぶ女性達を見る事を、嬲られ助けを求める女性をさらに甚振る事を、私は狂う事に馴れてしまっていたのか……そう、狂う事が快感になっていたのかもしれません」
 そして祭りの夜に拓哉は小夜を見つける。なぜ沢山の女性の中から拓哉が小夜を犯す対象にしたのか自分自信も最初は解らなかった。ただ最初に小夜を見た時からまるで長い間待っていた人に回り逢えた、そんな気がした。
「迷惑な話でしょうが、どうせ数ヶ月もすれば脳血種により私は死ぬ、ならば貴女に殺されたいと私はその時に思いました。そうすれば貴女は、たとえ私がこの世から消えてなくなろうとも、私の事を死ぬまで憶えていてくれる、私の事をどんな形であれ一生の間、憶えていてくれると……」
 何故、小夜を見た時にそう思ったのか最初は解らなかった。ただ男達に嬲られ凌辱されながらも屈せずにいる……そんな小夜を見て拓哉の決心はさらに固まる。この女性なら私を殺してくれると……そして拓哉は気がつく、凌辱されている小夜を見ながら勃起している自分の男根と、同時に小夜を凌辱している二人に殺意を抱く自分に、小夜は私の物だ、私だけの大切な人だ、小夜を汚して良いのは私だけだ、小夜を汚している二人を私は許さない、殺意は高まる。最初から拓哉はこの二人をすべてが終った後に殺すつもりだった、死んだとしても悲しむ者などいない自分を含めて屑と言って良い奴等であり、生かしておくべき人間ではない事を今までの行動により充分に知っていた。そして凌辱した女達に償いの意味を含めてそれは必要な事と思われた。
「後は貴方が体験したとうりの事です。ただ誤算は小夜さん……貴女があまりに優しすぎて私を殺せなかった事、そして恵美に似すぎていた事……私は多分、小夜さんと恵美を心の何処かで一緒にしてたのでしょう。そして小夜さんに殺される事により恵美に対して償いをしようとしていた……実に自分勝手な愚かなことです……私の話しはこれで御終いです」
 拓哉は長い話しを終える、そして顔を伏せたまま沈黙する、小夜は言葉を選ぶ、しかしなんと声を掛ければ良いのか解らなかった。拓哉の行った行為は決して許される物ではなかったし許してもいけない事であった。それでも拓哉の深い、まるで底無沼のような絶望の心を小夜は感じる事が出来た。




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